赤城さん 栄光と慢心と(2)


正規空母「赤城」。
世界最強空母艦隊、南雲機動部隊の旗艦として活躍し、太平洋戦争の転換期を象徴する戦いで散っていきました。

赤城さん 栄光と慢心と(1)】 から続きます。

 

太平洋戦争開戦の、舞台裏

資源獲得戦争

日本とアメリカによる太平洋戦争の開戦の日。1941 年 12 月 8 日
赤城は、南雲忠一中将が率いる空母機動部隊の旗艦として、真珠湾攻撃に参加しました。

当時、日本は植民地の利権争いなどで英米との関係性が悪くなり、石油の輸入を止められてしまっていました。
石油は国を動かす血液ですから、なんとしても必要です。国内の天然資源に乏しく諸外国からの輸入に頼っていた日本は、国内で自給自足ができる体制が作りたくて堪らなかったのです。概ね全部自国内に持ってるアメリカ様、ずるい。

重要資源を外国に依存するリスクは、国を安定運営する上で極めて高いです。1970 年台のオイルショック騒動や、近年だと中国レアメタル問題がイメージしやすいでしょう。無いなら無いでなんとか我慢しよう、では済まんのです。

オイルショックの際は、その解決方法として各産業の省エネルギー化と原子力エネルギーの推進に向かいました。当時は、戦争という外交手段を選んでしまいます。もうちょっとなんか上手いやり方が無かったのかな、と現代に生きる我々は思っちゃいますね。有ったのかもしれないし、無かったのかもしれません。

油田を確保するために、南方(インドネシア等)に進出して抑える戦争計画を立てました。その過程で、太平洋に駐留するアメリカ艦隊との衝突は避けられないので、先に叩いておこうということです。

ここで一つのポイントですが、日本はアメリカに完全勝利する気はさらさら有りませんでした。だって国力差はシンプルに圧倒的ですもの。
工業生産力の比率が 1 : 30 とかなんですよ奥様。こっちが軍艦 1 隻ようやっと作ってる間に、向こうはしれっと 30 隻作ってくるわけです。
これを大人げない米帝プレイと呼ばずして、なんと呼びましょうか。

大戦中の日米艦艇建造数比較

「あっ・・・(察し)」 って感じですね。
もちろん、質のほうも抜かりありませぬ。
ちなみに日本の戦艦2隻は開戦してすぐに完成した大和と武蔵です。

戦争を避けたい本音と、国家の自主独立のためには全面戦争も辞さないという虚勢

長期戦は国力的に無理だから、短期決戦でアメリカ軍にガツン!と一発喰らわせて、アメリカの世論の厭戦気分を煽る。南方資源地帯は確保。軍事同盟国のドイツもきっとイギリスを倒してくれるだろうから、停戦の機会を作ってアメリカとはなるべく有利な条件で講和しよう』
……という、割りとふわっとした戦争計画が、天皇参加の上で行われる御前会議の場で決定されました。
短期決戦で勝利を上げて、しかるのち講和。弱小貧乏国家日本のとりうる唯一と言っていい戦争戦略です。日清戦争・日露戦争でおなじみですね。
いままでは上手くいきました。いままでは。

昭和天皇は開戦に消極的、というか反対でした。ただ、「君臨すれども統治せず」の原則を頑なに守り、公の場で自分から何かを決定することは、ほぼありませんでした。このへんは色々と、もどかしいところですね。
ですが、当時首相に就任した陸軍の東条英機に対し、対米戦争回避に尽力するように指示します。

東条英機は、天皇への絶対崇拝者でした。強硬な開戦積極派でしたが、即座に 180 度方向転換。陸軍内部から裏切り者の名を受けつつも、それまでに比べてかなり譲歩した交渉案を作成。戦争回避に向けて交渉に尽力しますが、アメリカ側からは「ハル・ノート」と呼ばれる強硬案が提示されます。日本の権益の大多数を放棄せよとの内容で、とても飲めるような要求ではありませんでした。
両国の交渉はもうすりあわないと判断した日本政府は、やむを得ず開戦に向けて舵を切ることになります。
(ハル・ノートの解釈については議論百出で面白いんですが、複雑なので省略します)

 

 

真珠湾攻撃での、成功と失敗と

計画を通す段階から大変

真珠湾攻撃作戦は、海軍内では大反対がありました。
ガチガチの敵本拠地への殴り込みです。敵の大艦隊と無数の基地航空機と巨大要塞砲が待ち受けてます。失敗すれば勿論のこと、成功しても引き換えに味方空母を複数失うリスクが織り込み済みの計画でした。

乾坤一擲の大作戦というとなんか聞こえがいいですが、要はのるかそるかの大博打だったのです。
最後は、山本五十六が「できるって言ったらできる! この作戦認めないんならワシ辞めるもんね!」と言い出して、反対派も不承不承です。

真珠湾に向かう蒼龍。赤城から見た姿

真珠湾に向かう蒼龍。赤城から見た姿。

 真珠湾へこっそりと

奇襲なので悟られないように各艦バラバラに出撃し、遠方で艦隊集結しました。
目指す真珠湾は太平洋の遥か彼方です。すんごい遠いんです。燃料タンクに収まるだけの油じゃ心もとなくて、重油入りのドラム缶をお弁当として大量に持って行ったほどです。

真珠湾攻撃の航跡図

真珠湾攻撃の航跡図。
北海道から出撃してハワイまで。長い長い道のりです。

 

大艦隊の移動です。途中でアメリカ側警戒網に引っかからないか懸念されましたが、幸運にも見つからずに真珠湾の近海まで到着しました。
日米で胸ぐら掴み合って後はいつ殴るかって状況なので、アメリカ様ももうちょっと警戒しようよって話ではあるんですが、日本軍が攻めてくるならフィリピンのほうだと思ってたんです。
まさかこんな遠方はるばる、捨て身で殴りこんでくるなんて予想しとらんよ……。

そこから攻撃隊を発進。第一次攻撃隊、第ニ次攻撃隊の二手に分かれ、それぞれ 180 機ほどです。

大日本帝国海軍攻撃隊の侵入経路図

攻撃隊の侵入経路図。

 

真珠湾に近づく機影群を、アメリカ側はレーダーで補足しましたが、自国の航空機と勘違いして見過ごしてしまいました。
かくして、迎撃準備が一切整わない完全な奇襲攻撃が実施されます。
攻撃隊総指揮官は、赤城に対して奇襲成功を示す打電を行いました。「トラ・トラ・トラ」と。

攻撃目標
1 : 空母、戦艦
2 : 飛行機、航空基地

石油貯蔵タンクや修理工場は攻撃目標外です。日本側の攻撃能力もいっぱいいっぱいですので。

1941年10月の真珠湾

1941年10月の真珠湾。
奇襲攻撃の2ヶ月前の平穏な様子。

 奇襲攻撃は大成功

最優先攻撃目標の空母「レキシントン」「エンタープライズ」の2隻は、輸送任務中で不在でした。
第一次攻撃隊は、港に錨を降ろして停泊中の戦艦群をメインに攻撃をしかけます。
猛特訓を重ねてきた熟練搭乗員達にとって、動かない戦艦は当てやすい的でしかありません。
戦艦5隻を撃沈、他多数の艦艇に甚大な被害を与えます。基地航空機も飛び立てぬまま数百機が破壊されました。

続いて第ニ次攻撃隊が追い打ちを掛けますが、アメリカ基地防衛側も奇襲の動揺から立ち直り、対空射撃にて反撃。攻撃隊も数十機の損害を受けます。
すでに ”奇襲”の効力は薄れていました。

第一次攻撃隊と第ニ次攻撃隊が母艦に戻った後、南雲機動部隊は日本への帰途に着きます。
第三次攻撃隊を出して更に追加攻撃を加えるべし。そういった意見もありましたが、ここいらで潮時だったでしょう。
この段階で味方の稼働可能な攻撃機は 2/3 になってますし、一番怖い敵空母群もいつ襲いかかってくるかわかりません。
日本にしてもたった唯一の貴重な空母機動部隊なのです。失うと肝心の南方進出作戦できなくなっちゃいますし。それでは本末転倒です。

日和見主義を決め込んでたアメリカ様、立ち上がる

この真珠湾攻撃の大被害を受け、アメリカ世論は大激怒
それまでは「え? 遠い外国に行って戦争? 国内だけで特に困って無いのになんで? だが断るよ? バカなの? 死ぬの?」という至極まっとうな思考でした。第一次世界大戦では遠いヨーロッパで多くの自国民の血が流れた苦い記憶があり、戦争は嫌だったのです。

自国領土への直接攻撃に対して戦争機運が一気に高まり、「リメンバー・パールハーバー」を合言葉に熱く参戦です。
一旦スイッチの入ったアメリカ国民は、強固な愛国心とプライドで動きますので、もう止まりません。

宣戦布告書にサインするフランクリン・ルーズベルト

宣戦布告書にサインする合衆国大統領フランクリン・ルーズベルト。
評価も批判も激しい、激動の政治家です。20 世紀を大きく動かした政治家と言っていいでしょう。

なお、真珠湾攻撃の 30 分前に渡すはずだった宣戦布告書は、小粋な事務手続きミスにより 1 時間ほど遅れました。
このため、卑怯な奇襲を行う日本扱いされましたが、まあ間に合ってても多分おんなじ扱いだったと思います。プロパガンダによる戦いも始まってますし。
アメリカ世論の厭戦気分を煽る。そういった観点からは、真珠湾奇襲攻撃は悪い効果を与えてしまいました。

 

長くてすいません。えーと、ここまでが前説です。
赤城さん 栄光と慢心と(3)】 に続きます。

 


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