赤城さん 栄光と慢心と(1)


頼れるオバQ」。そう一部提督から評される、正規空母「赤城」。
巡洋戦艦として設計され、実験的空母として生まれ、世界最強空母艦隊の旗艦として活躍し、太平洋戦争の転換期を象徴する戦いで散っていきました。
そのキャラクター性は当時の歴史と密接に絡まりますので、ちょっと長くなりますが併せて語っていきたいと思います。

 

巡洋戦艦「赤城」

名前の由来は、群馬県にある赤城山からです。
赤城は、俊足に優れ強大な火力を有する天城型巡洋戦艦の2番艦として生まれる予定でした。

誕生前に第一の試練が襲ってきます。
ワシントン海軍軍縮条約
1922 年に締結されたこの条約により、主要各国は新規で戦艦が持てなくなり、建造中の艦は廃艦処分しなくてはならなくなりました。

貧乏国家日本が、多額の国費で建造した船。捨てるにはもったいなさ過ぎます。
空母として改造することにしました。
当時、空母という艦種は生まれたてでスタイルが定まっておらず、三段式の甲板を持つユニークな形の艦が産まれました。
1927 年のことです。
鳳翔」に続き、日本海軍で2番目の空母でした。

赤城(三段式甲板) 横

3段空母時代の赤城さん。
曲がった煙突は排煙と同時に水を出して煙を抑えるハイテクです。

姉妹艦として「天城」が生まれるはずでしたが、1923 年の関東大震災で被害を受けて、建造を途中破棄。

代わりに、解体されて赤城の建造材料になる予定だった未完成艦が、航空母艦に改造されることになります。
そう。加賀型戦艦の1番艦「加賀」です。
ちなみに加賀さん、戦艦「長門」よりも強力な戦艦になる予定でした。

 

赤城さんの、三・段・腹

試行錯誤の空母開発史

初期の赤城は、飛行甲板が三段もあります。
短時間に多数の航空機を一気に飛ばして、海域を制圧する。それが空母の強みです。
三段ってことは三倍早く飛行機を飛ばせる。そんなシンプルな掛け算です。なんと素敵なことでしょう!

赤城を作るにあたってはお手本がありました。
イギリスが建造した空母「フューリアス」です。大型の軽巡洋艦を改装して、二段式の飛行甲板を乗せてました。
波で揺れる。強い海風も吹く。そんな不安定な航行中の船から、いかに飛行機を飛ばし、着陸させるか?
イギリスはこの実験的な艦を使って、飛行機運用のノウハウを模索しています。

大型軽巡洋艦期のフューリアス

大型軽巡洋艦期のフューリアス。
45.7 cm 単装砲 という訳の分からん巨砲を搭載してました。戦艦「大和」のが 46 cm ですんで、ええ。
イギリスさんはこういった頭のネジのおかしいゲテモノ兵器を好んで作ることで大人気です。

最初期の空母運用では、飛行機は発艦するのみでした。
着艦? そんな難しくて危険なことできるわけありません。
フロート付きの水上機は、近くの水面に着水したところをクレーンで引き上げます。車輪しか無い普通の飛行機は、近くの陸上飛行場に向かって貰いましょう。
面倒くさい運用方法ではありますが、それでもイザというときに短時間で一気に飛行機を飛ばせるメリットは大きかったんです。

航行中の空母の飛行甲板に着艦ができるかもしれない。いや、できるのだ。
そのことを命知らずな飛行機乗りが実証したのは、1917 年のことです。2度の試験を成功させ、3度めの失敗で命を落としてます。
空母の歴史って、かように浅いものでした。役に立つかどうか、とてもあやふやな存在だったんです。
それからたったの 30 年弱です。空母が名実ともに海戦の主役に上り詰めるまでは。

と、ひとしきりの擁護の準備をしたところで。
三段式飛行甲板は技術冒険心あふれる新機軸でしたが、残念ながらあまり使い物になりませんでした
空母に載せる飛行機は急激に進化し、小さくて軽くて浮かびやすい複葉機から、重武装で高出力の単葉機へと置き換わります。
大きく、そして重たく進化した飛行機は、より長い飛行甲板を必要としました。

Akagi_三段式甲板版

一番上の長い飛行甲板でも長さが足りなくなりました。

三段式甲板は・・・要りませんよね?
技術的な試行錯誤としては必要な過程だったと思います。
やってみなきゃ分からんことでしたし、やってみて分かったんです。

新しい赤城、それが私。スーパー赤城様。ふふ・・・怖いか?

1938 年。佐世保海軍工廠にて、赤城は大規模な近代化改修が施され、全通式の飛行甲板を持つ近代的な空母に姿を変えました。

赤城(近代化改修後)デッキ

赤城(近代化改修後)正面

 

赤城&加賀

赤城&加賀
(WRシリーズ模型/船の科学館収蔵)

 

赤城&翔鶴&龍驤比較

赤城&翔鶴&龍驤比較。
専用設計の翔鶴と比べて、随分と背が高いですね。三段式甲板の一番上を拡張したためです。
龍驤ちゃんは色々頑張っててかわいい(確信)

空母の年表

1903 ライト兄弟が初飛行に成功。
1917 改造空母「フューリアス」が、航行中の船に飛行機が着艦できることを初実証。
1919 空母「鳳翔」建造開始。
1920 巡洋戦艦「赤城」建造開始。
1922 空母「鳳翔」完成。専用設計の航空母艦として世界初。おかーさんと呼ばれるゆえん。
1927 空母「赤城」完成。(三段式甲板)
1938 空母「赤城」近代化改修完了。(全通甲板)
1941 日米開戦。真珠湾攻撃。
1942 ミッドウェー海戦。赤城沈没。
1945 日本敗戦。

ライト兄弟からこっち、ちょっと急ぎ過ぎじゃないですか? 航空機と空母の進化!

 

 

艦長、やまもとごじゅうろく

重要な人物が、赤城艦長として一時期勤めました。
赤城3代目艦長、山本五十六(やまもと いそろく)大佐。後の連合艦隊司令長官です。
山本五十六

太平洋戦争のはるか前。大艦巨砲主義が時代の趨勢だった頃から、「これからは航空機の時代だ!」と唱え、日本海軍の航空兵装への転換に尽力しました。「航空主兵論」と呼ばれます。
この人が居なかったら、赤城はひっそり脇役で、太平洋戦争では日米ともに大型戦艦や重巡を主役としたガチンコで戦ってたかもしれません。ひょっとして。

なお、五十六という名前の由来
父親が56歳の時に産まれた子供だったからだそうです。
なにそれひどい。
現代のキラキラネームとどっちがマシでしょうか?
名前の由来を聞かれると本人は不機嫌になったそうです。ですよねー…。

 

 

流星? 烈風? いえ、知らない子ですね?

流星や烈風といった新型機は、太平洋戦争末期の登場なので、赤城には乗りませんでした。
というか登場が遅すぎて、どの空母にも馴染みのない可哀想な子たちです。

赤城さんちの子たちはこちら。いずれも名機です。

日本海軍空母艦載機

 

 

一航戦の、誇り

主役となった空母

第一航空戦隊略して「一航戦」。空母を中心とする艦隊のひとつを表します。
歴史は割りと古く、1928 年に結成されました。
赤城・加賀の正規空母2隻を中心として、鳳翔・龍驤も一時期参画しています。

ナンバリング的には第一から第五まで有るんですが、メンバー構成は戦局に合わせてポンポン入れ替わってます。
なんせ短い間に主要メンバーが沈みまくりましたので。うう…。
艦これのゲーム基準では、開戦時の 1941 年 12 月当時の編成を踏まえておけば良いのではないでしょうか。

第一航空戦隊 : 赤城・加賀
第ニ航空戦隊 : 飛龍・蒼龍
第三航空戦隊 : 鳳翔・瑞鳳
第四航空戦隊 : 龍驤・祥鳳
第五航空戦隊 : 翔鶴・瑞鶴

(護衛の駆逐艦群は省略します)

これら航空戦隊を束ねたものが「第一航空艦隊」です。(一航戦、二航戦、五航戦が主戦力)
当時は、主役である戦艦を中心とした艦隊を組み、空母は艦隊のサポートを行う便利な「おまけ」という考えが主流でした。
束ねた空母群を主役として打撃力を構成する。空母の集中運用という発想は、画期的な新機軸だったのです。

遠距離を飛んで一気に襲い掛かる数百機の飛行機集団。その攻撃速度と威力は圧倒的でした。
太平洋戦争初期、この最強の機動部隊は太平洋を縦横無尽に駆け回ります。
ハワイ、ニューギニア、オーストラリア、インド洋。
いずれも味方の損害軽微で敵に大打撃を与える凄まじい大戦果を上げ、空母時代の到来をこの上なく実証し、大艦巨砲主義の時代にもトドメを刺しました

いともたやすく行われるえげつない行為

ちなみに我らのアメリカ様。
これら戦訓をよく分析し研究して自国の艦隊編成に活かし、やがて同じ戦略による無慈悲な 10 倍返しが行われることになります。

日米の航空機と空母の年代別配備数

 

とりあえず基礎知識編でした。
一区切りして 【赤城さん 栄光と慢心と(2)】 に続きます

 


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