龍驤 ~関西から来なかった陽気なあの娘~


小柄な体に大きな収容能力。太平洋戦争前から歴戦の活躍。
本来、妹達と分担するはずだった艦載機を一身に抱え込み、不安定な艦体バランスにあたふたしながらも頑張りました
そんな小型の軽空母が龍驤です。

龍驤&赤城&睦月型比較

赤城さんよりはかなり小型ですね
睦月型駆逐艦と比べると流石にでっかくて重いです

 

軍縮条約に振り回された誕生物語

「たくさんの、もっとたくさんの軍艦が必要だ!」。そう叫ばれた時代のことです。
第一次世界大戦以降、しだいに不安定化していく世界情勢に列強各国は危機感を覚え、軍拡競争に走りました

相手国に対抗できるだけの防衛力を用意しておかないといけない。それを見た相手国はさらなる戦力増強を行うことを強いられる。そんなエンドレスループです。平和主義? 素敵な理想論ですが、残念ながら当時ではまだ高すぎる理想でしょう。些細なことをきっかけに喧嘩をふっかけられて、負けたら植民地化されるのが当然のジャイアニズムワールドでございます。各国わりと生き残りに必死でした。

とはいえ、流石に軍拡競争に疲れ果ててきました列強各国。国を守るための防衛費用で国を滅ぼしては元も子もありません。軍縮条約を結んで上限を設けることにしました。2回に渡って軍縮の取り決めを行なってます。

1回め。ワシントン海軍軍縮条約(1922年)。主力艦(戦艦および航空母艦)の保有・建造の制限が行われました。
「航空母艦」を作るにあたっての日本の割り当ては排水量(重さ)の合計が 8 万トンまで。赤城クラスだと3隻保有して終わりです。足りませぬ。とても足りませぬ。

ところが抜け穴が一つありました1 万トン未満の小型軽空母は空母としてカウントされないのです。
よし、軽空母いっぱい作ろう!
この発想の元、まず試しに龍驤を作り、その後に姉妹艦を量産する計画が動き出しました。
1929 年 11 月 26 日、横浜で建造が開始されます。

抜け穴はすぐに塞がれてしまいました
ロンドン海軍軍縮条約(1930年)。1 万トン未満の小型軽空母も空母としてカウントです。はい量産無理。
龍驤一隻の搭載機数はたったの 24 機。複数艦揃えて運用する前提だったので、単艦では戦力としてちょっと厳しい感じです。

「どうするの?」(問いかけ)
「一隻でもっと飛行機積めるように拡張すればいいんじゃない?」(提案)
「ソレダ!」(ぴこーん)

そんなノリで建造途中での設計変更。1段だった飛行機格納庫を詰み増して2段にするという力技です。搭載機数は 1.5 倍の 36 機まで増えましけどね。レゴじゃないんだから!

そんなこんなで当初予定より時間がかかりましたが、1933 年 5 月 9 日に就役です。逆三角形の「独特のシルエット」を持つ艦になりました。

龍驤前面2

見る者を不安にさせる艦首からのショット
なんでコレでまっすぐ浮いてられるんでしょうねえ?

 

設計ポイント

鳳翔」「赤城」「加賀」に続く、日本海軍 4 隻目の空母です。「鳳翔」の運用で得られたノウハウが設計に盛り込ました。
艦橋の無い全通式飛行甲板は、小さい甲板スペースを効率的に使うための苦肉の策でもあります。時代はまだ小型の複葉機が主流でしたが、艦載機も進化して大型化していきましたので、運用側もヒヤヒヤものだったでしょう。

龍驤側面

煙突とか艦橋は艦の側面に配置されました

体重を軽くするために、当時先端技術であった電気溶接を採用しています。それまでは鋲を沢山打ってつなぎ合わせていました。
ダイエットには成功しましたが、電気溶接の技術はまだ未発達で、強度不足の船体に悩まされることになります。

飛行機格納庫を船体の上に詰み増した影響はさらに大きく、あからさまに頭でっかちになってしまいました。船体の重量バランスが上のほうにずれちゃうのは軍艦によくありがちな問題です。頭が大きくて重い起き上がりこぼしをイメージしてみて下さい。ちょっとつついただけで横に倒れ、戻って起き上がらなくなります。何が怖いって、転覆事故ほど悲惨なものもありません。

龍驤前方ななめ

全速で急カーブしたときの傾きっぷりが怖かった、という搭乗員談も

なんとか艦底のほうに重量バランスを寄せるべく、武装を減らしたり艦艇に重しを付け増したりするも、不安定さは最期まで解消できませんでした。艦の底の方に予備の重油タンクがあるのですが、その燃料を使うと重りが無くなって艦のバランスがくずれてしまうために、燃料として使うことができなかった。とか、そういうオチもあったようです。

ただ、こういう実験的な艦を作って得られた実運用データは、戦後の造船業の発展に大いに生かされたようです。

 

台風には勝てなかったよ・・・

第四艦隊事件。1935 年、日本近海で演習中の事件です。
台風が来るって予報は事前に受けてたんですが、「よーし、くんれんだー!」って突っ込みました提督。死亡フラグですよねソレ。
記録的暴風による凄まじい波に襲われ、龍驤もすわ沈没かという危機に見舞われました。

龍驤背面

龍驤さん艦尾。高波が来るといかにもヤバそうな水面からの近さです

この台風には、参加 41 隻中、19 隻も損傷を受けました。主な被害艦は次のとおり。

  • 駆逐艦 : 初雪、夕霧、睦月、菊月、三日月、朝風
  • 航空母艦 : 鳳翔、龍驤
  • 重巡洋艦 : 妙高、最上

重傷の艦も多く、大惨事となりました。台風には突っ込むなって教訓です。損傷を受けた艦は徹底的に調べられ、構造的な弱点は徹底的に補強されました。
なお、太平洋戦争では米艦隊も同様に台風で複数の軍艦が転覆沈没する憂き目にあってます。

http://youtu.be/-UDaPAwB50o

(荒れた海で航海する艦船のイメージビデオ。”木の葉みたいに” という表現がぴったりなこの怖さ。巨大台風のときはこれよりもっと酷いんでしょうね)

 

歴戦の活躍

太平洋戦争開戦の初期。主力正規空母艦群は、主戦場である南太平洋で出ずっぱりでした。そんな中、小規模の戦局に対して細かく動かせる便利艦として、南方資源地域や通商破壊に活躍しました。

他艦とのからみ

  •  「鳳翔」「加賀」と共に上海に。支那事変において海軍航空戦力の主力を担う(第二次上海事変)
  •  駆逐艦「敷波」と南方攻略作戦に従事(スラバヤ沖海戦)
  •  「隼鷹」と共にダッチハーバーの敵基地攻撃(アリューシャン攻略作戦)
  •  重巡洋艦「利根」、駆逐艦「天津風」「時津風」とガダルカナル島の敵飛行場攻撃(第二次ソロモン海戦)

その最期は、ガダルカナル島の攻略作戦中でした。空母「サラトガ」からの艦載機から空襲を受けて沈没。
1942 年 8 月 24 日のことです。

 

初代「龍驤」

明治時代の軍艦。それが初代「龍驤」です。なんと西南戦争にも参加。そういう時代ですよね。
明治天皇の座乗艦としても使われたとのことです。
調べた限り、二代目との関連性はあまり無い模様。

 

艦これの龍驤

マッククルーと評されたりもするカジュアル系のスタイル。
横浜港生まれのハマっ子なのに謎の関西弁キャラ
感情表現豊かで、MVP 時には提督に褒め言葉をおねだりする素直な娘でもあります。
赤城や加賀に対して微妙にコンプレックス持ちなのは空母としての競争心ゆえなのでしょう。小さい体ながらにムードメーカとしての癒し系ですが、あんまり触ると怒られますよ提督

 


艦これグッズ一覧

アニメグッズ一覧

艦これタイマー for Web

いない艦娘チェッカー

艦これグッズ一覧