このビスマルク、ドイツんだ? オラんだ!


おあとがよろしかったでしょうか?
って言われても困りますよね。大変申し訳ございません。

 

 

 

 

 

第二次世界大戦に至るまでの、ドイツのあらまし

第一次世界大戦(1914~1918 年)
植民地いっぱい欲しいですの覇権主義で軍拡を繰り広げていたヨーロッパの列強各国は、お互い、ヤラれる前にヤろうと緊迫の只中でした。
敵の敵は味方、味方の味方は敵。力で勝ったら権益独り占め、負けたら属国植民地化。弱肉強食の時代背景です。

引き金を引いたのは、テロリスト。
オーリトリア=ハンガリー帝国の皇太子が街中でピストルにより暗殺され、それがきっかけとなり各国が仕掛けていた様々な戦争計画やら軍事協定やらが連鎖的に発動
あっという間に、ヨーロッパを中心とした世界中を巻き込む大戦争になってしまいました。

第一次世界大戦当時の国勢図

第一次世界大戦当時の国勢図。緑色連合と赤色同盟との戦争です。

 

「戦争は半年もすれば終わるだろう」と、楽観視されてました。当初は。
しかし、塹壕と機関銃を使った新戦術によって、守るは易く攻めるは難い、という膠着状態にお互い陥ります。
塹壕には冷たい雨が降り注いでグチャグチャと粘りつく泥水となり、文字通り泥沼化した戦争は、わずか 4 年で数千万人の人命を飲み込みました

塹壕戦の様子

塹壕戦の様子。銃弾や毒ガスが飛び交う中、こういう所に長時間篭ってひたすら耐えて過ごします。

 

勝者は誰か? 結局戦争での決着は、付きませんでした。
あまりの損害と負担の大きさに、各国経済は極端に疲弊し、混乱。耐え切れなくなった国民が、暴動とクーデターを起こしたのです。
まずロシアで革命。強大な皇帝の国は、共産主義の国へと大きく変貌しました。
ドイツでも、捨て身の特攻作戦を命じられた兵隊が「もうやってられるか!」と暴動を起こしたのをきっかけに、帝国は内部崩壊。民主主義の新しい共和国家の誕生です。

休戦協定(ヴェルサイユ条約)が結ばれることになりました。降伏こそしてないものの、ドイツは実質敗戦国です。
敗戦国は戦勝国に対して、戦争の損害を回復するに十分な賠償を支払うのがルールですが、お互いにボロッボロになりすぎて、どうしようもありません。
とはいえ、大損害を抱えたフランスやイギリスも、譲るに譲れ無いのです。ドイツには、国家予算の7割を十数年に渡って支払え、的な無茶ぶりが課せられました。
いや、それでも全く足りないんですけどね。

また、ドイツ本国の一部領土も賠償として、周辺国に割譲されました。
割譲された土地には、当然、多数のドイツ系住民が住んだままです。
後に、ナチス・ドイツが自らの侵略行動を正当化するために使われる大きな火種が、この時埋め込まれてしまいました。
ひとつの民族を、ひとつの国家に。それが悲願である。

第一次世界大戦後に失われたドイツ領土。割と広範囲ですね。

第一次世界大戦後に失われたドイツ領土。割と広範囲ですね。
(by ウィキメディア・コモンズ)

 

なお、第二次世界大戦後の戦後処理においては、敗戦国であるドイツと日本には戦勝国連合によって、かなり緩やかな賠償要求と、荒廃した国内経済立て直しの積極的な支援が行われました。
敗戦国を追い詰め過ぎると国民が全体主義化して爆発し、周辺諸国に多大な被害を及ぼすことを、第二次世界大戦に至った道を振り返って教訓として学んだ結果です。

 

 

 

ナチス・ドイツの誕生

第一次世界大戦の戦後処理によって、到底返しきれない借金を背負ったドイツ共和国
すったもんだがあり、ドイツの通貨マルクの価値は、一兆分の一とかに下落しました。ジンバブエ・ドルをイメージして頂くと分かりやすいかと。
コーヒーを一杯飲むのに、トランク一杯分の札束が必要だった。飲み終わってお会計したら、トランク二杯分に値上がってた。そんな愉快な冗談です。

100兆マルク紙幣

100 兆マルク紙幣。 なんですか、それ。

 

深刻な重税と失業にあげくドイツ国民は、ナチス・ドイツが唱える耳障りの良い素敵ワードにほだされて、政権を預けてしまいます。
ナチスは一党独裁体制の強みを活かして、集中的な経済政策を実施。失業率の大幅な改善に成功しました。すごい。
しかし景気のいい大盤振る舞いの裏側で、積もり積もった借金による財政破綻のカウントダウンが着々と進んでいたのでした。

この自爆タイマーを止めるにはどうすればどうすれば良いか?
身の丈にあった極貧生活に戻るか、他国の富を奪って規模拡大するか、二択です。
当然! 戦争だッ!
こうして第二次世界大戦が始まりました(1939年~1945年)。

 

 

 

ドイツ海軍の特徴

基本的に陸軍メインの国で、海軍にはあまりリソースを割くことができません。
フランスとかロシアとか、周りは陸軍強国だらけですからね。
海洋国家である日本の逆なのです。

その代わり、活動範囲は、ヨーロッパ沿岸の狭い地域に限られます。
海外の植民地は第一次世界大戦後に全部失いましたので。長距離航海能力はあまり必要としません。
ヨーロッパ各国は、各植民地からの資源輸入に頼るところが大きいので、制海権をとってこれを妨害する通商破壊がメインのお仕事です。

 

 

 

戦艦「ビスマルク」

1936 年に製造開始、1940 年に完成して就役。
日本の大和級はまだ未就役なので、当時は世界最大級の戦艦となりました。

 

各国戦艦 サイズ比較

各国戦艦 サイズ比較

 

この戦艦の設計開発、ドイツはえらく苦労してます。
1918 年の第一次世界大戦終戦後、ドイツ軍はヴェルサイユ条約によって徹底的に骨抜きにされました。
戦車・航空機・潜水艦といった軍備の保有が禁止。排水量1万トン以上の軍艦も建造禁止。国防に必要な最低限の軍備のみしか認められなかったのです。

厳しい制約の元、それでも農業用トラクターの名目で戦車を開発したり、競技用グライダーや旅客機の名目で飛行機を開発したりと、苦肉の策で四苦八苦。
我がナチスの科学は世界一ィィとか言ってる場合じゃありませんのだ。

ビスマルクも、15 年のブランクで、大戦艦を設計できる人材は失われいたのです。
しかたがないので、15 年前の旧式戦艦の設計図を引っ張り出してきて、それを元に設計
結果、攻守のバランスに優れた良艦ができあがりました。

ビスマルク級戦艦、2番艦ティルピッツ。

ビスマルク級戦艦、2 番艦ティルピッツ

  • 主砲:38.1 cm
  • 排水量:41,700 t
  • 全長:241 m
  • 速度:31 ノット

金剛型と同じ 38.1 cm 砲という強大な攻撃力を持つ戦艦が、金剛型より高速で走り回って海運の流通網をズタズタにする。島国のイギリスから見ると、大変な脅威です。
遠距離戦で山なりに上から来る砲弾に弱いという構造的弱点が有りましたが、結果としてその弱点は露呈しませんでした。
主戦場であるバルト海や北海は霧やら雨やらの悪天候が多くて視界が悪く、近距離での打ち合いばっかりだったのです。

ビスマルク級は2隻建造。姉妹艦は、「ティルピッツ」。
このビスマルク級を練習台として、より洗練された次世代の戦艦を作る計画です。でした。
実現する前に、第二次世界大戦に突入してしまいました。いや、口火切ったのはドイツですけどね。

ビスマルク級戦艦ティルピッツ。

ビスマルク級戦艦ティルピッツの航空写真。

 

ライン演習作戦

1941 年 5 月。日米開戦の半年前
イギリスの南西方面の海まで出向き、戦艦によってイギリスの商船団を攻撃する通商破壊作戦が計画されました。
イギリス側は、商船団を、旧式で鈍足だけど大口径の 38 インチ砲を備えた戦艦で護衛してます。
ビスマルクは、分厚い装甲でこれらの攻撃を受け止めた上で撃破し、商船団を丸裸にする役割を期待されました。就役後の初実戦です。

ライン演習作戦航海図

ライン演習作戦航海図。 赤い線がドイツ艦隊、黄色い線がイギリス艦隊の動きです。 ポーランドの港を出て、イギリスの周りを大きく反時計周りにぐるっと一周。ビスマルクは、フランスに辿り着く前に沈められてます。
(by ウィキメディア・コモンズ)

 

攻撃艦隊は、戦艦「ビスマルク」・重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」・巡洋戦艦 2 隻の、計 4 隻で組むはずでした。
が、巡洋戦艦の 2 隻は、故障したり航空機攻撃でダメージ受けたりして、欠席。
ほんとは故障した艦を治してから、万全の体制で挑みたかったんです。でも、時間がたつと英艦隊は強くなっていく一方で、勝ち目が薄くなっていくのでやらざるを得ません。
アメリカ様に身の程知らずの喧嘩を売ったどこぞの大日本帝国と同じ構図ですね。お金も資源も無い無いづくしの中での戦争なので、短期決戦しか挑めないのです。

ドイツ海軍の動きを当初から察知していたイギリスは、巡洋戦艦「フッド」とキングジョージ 5 世級戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ(PoW)」の主力艦 2 隻で対抗。

巡洋戦艦フッド

巡洋戦艦フッド。 旧式ながら、全長 262 m の巨大戦艦です。

イギリスからかなり北西、アイスランドの西に位置する、デンマーク海峡で交戦しました。霧が深く、氷山だらけで、普通に航行するのも危険な海域です。
イギリスは駆逐艦隊も同伴してましたが、大荒れの海で戦闘に参加できませんでした。

 

デンマーク海峡会戦

ビスマルクと PoW は両艦とも、生まれたてほやほやで、乗員訓練や鳴らし運転しての調整が終わってないような未熟な段階でした。
PoW は最初の一撃で、主砲発射の衝撃により、一番砲塔が故障。
ビスマルクも同様に、艦首レーダー装置が故障。
しょっぱなからこんな感じでスタートです。

荒れた海での、近距離砲撃戦。
ビスマルクの 38 インチ砲弾が、フッドにクリティカルヒット。船体を貫き、弾薬庫が爆発してあっという間に轟沈してしまいました。
PoW も被弾し中破して、主砲がほとんど使えなくなり、戦略的撤退。ドイツ側の勝利に終わります。
しかしながら、ビスマルクも 3 発喰らい、中破して速力低下。大量の燃料を流出し、作戦行動が苦しい状況に追い込まれました。

沈められたフッドは、長年に渡りイギリス海軍力の象徴的な存在で、国民に親しまれていました。日本で言うところの、長門的な艦ですね。
まさかの轟沈の報に、イギリスは大激怒。
大英帝国海軍のメンツを掛けて、ビスマルクの追撃に全海軍兵力を総動員しました。

ダメージを負ったビスマルクは、通商破壊作戦中止の命令を海軍司令部より受け取り、ドイツがすでに占領済みのフランスへの帰投を試みます。
ところがイギリス側は、会戦に参加しなかった無傷の重巡洋艦使い、レーダーで捕捉して、距離を開けて送り狼。ビスマルクを殲滅できる戦力の集結を待ちました。
ビスマルクとプリンツ・オイゲンは帰路の途中でわざと分かれて行動しました。ビスマルクを囮にして、無傷のプリンツ・オイゲンの帰投を優先させたのです。

イギリスは追撃の戦艦を差し向けますが、速力がやや低下してるとは言えビスマルクは高速艦。このままでは、追いつけず逃げられてしまうでしょう。
イギリスは、空母「ヴィクトリアス」からソードフィッシュ雷撃隊を発進させ、ビスマルクに夜間攻撃を仕掛けました。
ソードフィッシュは速力に劣る旧型の複葉機ですが、安定性の高い優れた機体でした。9 機で攻撃をかけて、魚雷一発が命中。ビスマルクは小破して、速力が半分にまで低下します。

しかし英海軍はその後、ビスマルクを広い大西洋で見失ってしまいました。
無事逃げ切れるか、ビスマルク。
と、思いきや。追撃を振り切れたことに気がついて無かったビスマルクが、本国に向けて長々と無線通信を行ってしまったため、位置が再び捕捉されてしまいました。

空母「アークロワイヤル」から迫り来る、ソードフィッシュ雷撃機攻撃。
激しい雨の中、ビスマルクの舵が、魚雷によって破損します。致命的でした。
ミッドウェー海戦の蒼龍と同様、まともな運動ができなく無くなったビスマルクは、なすすべもなく・・・・・・でもなく、意外に試行錯誤。
左右のスクリューの回転数をバラバラに調整したりして、かろうじてノロノロ低速で操艦できる状態を維持しました。
イギリス側は駆逐艦でトドメを試みるも、雨と強風で波が荒い中、ビスマルク側からの牽制砲撃攻撃を受けて、なかなか近寄れません。

最後は、追いついたイギリス戦艦 2 隻・重巡 2 隻によって、集中攻撃に追い込まれました。
射撃指揮所や測距儀に無数の命中弾を喰らいました。統制された攻撃能力を失う中、各砲塔が個別砲撃して頑強に抵抗します。
奮戦むなしく、小一時間で約 400 発の命中弾を受け、ボロボロになって全主砲が沈黙。主砲塔付近に命中した弾が、弾薬庫の火薬に誘爆して、大爆発を引き起こします。

それでもビスマルクは浮かび続け、体内の動力機関は生きていました。でも最早、何もできません。
乗員に退艦命令が出され、自沈命令が発令。
船底のキングストン弁を開け海水を自ら流し込み、機関には自爆用爆弾をセットされます。
内部からの爆発と、外部からの魚雷攻撃によって穴だらけになった船体は、少しずつ沈んでいき、海の藻屑と消えました。

ライン演習作戦において、ビスマルクが喰らった魚雷は推定約 10 本ほど、船体に喰らった命中弾 400~600 ほど。この恐るべきタフネスさが、ビスマルクを伝説の艦にしたのでしょう。

 

 

ビスマルクのその後

大英帝国の海軍が総力をあげてようやっとの末に沈めたビスマルクは、英国に深い印象を残しました。
姉妹艦の「ティルピッツ」は、ノルウェーの入り組んだフィヨルドに潜伏して、イギリスを牽制。居るだけで存在意義を示す、戦略兵器に
ビスマルクのトラウマが残るイギリスは過度に警戒せざるを得ず、同海域を航行する輸送船団に過大な護衛を付けるコストを、数年間にわたり延々と強いられることなりました。

 


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